○大正14年8月11日の 棟札がありました。 この棟札は所長の話では解体時に屋根裏からでてきたそうです。 お父上から、オールドシーダ・バーンが大阪の商人が別荘として 建てたのを、購入し日常の暮らしに使ったものでした。 購入時すでに20年経た古屋だったようです。 お父上も、この棟札はご存知なかったんでしょうね。 大正末期から昭和初期の住宅文化の高揚期に 建てられたいわゆる近代和風スタイルです。 別荘がわりに建てたので、個室らしき部屋は、小間だけです。 後は、襖で大きく仕切られているだけです。 写真にもありますように、北側と南側を建具だけで仕切っているので、 大量の風を呼び込むことが出来ます。 物置小屋には簀戸(すど)蚊帳(かや)がありました。

グラスハウス 棟札 風の通り道

○本玄関と内玄関があります。
普段、家族は内玄関を使います。
建具のつくりが違います。

本玄関 本玄関 本玄関

↑本玄関  ↓内玄関

内玄関

○本玄関を入るとすぐ応接間があります。
応接間の出入り口の建具は、玄関に面したところは、襖仕立て、
応接間に面したところは虫食いの板に絵が描かれていました。

欄間には、ステンドガラス、そして暖房器具が内臓されていた家具にも
ステンドガラスがありました。ステンドガラスはモダンな絵柄ではなく、
椿」に、「(メジロでしょうか。)」

あくまでも「和風」へのこだわりが強い家でした。

非常に厚みのあるステンドガラスで押さえの鉛もふんだんに使われています。
阪神淡路大震災時にヒビが少し入り、ゆがんだところもありました。

直しにだそうとしたら、3軒目のステンドガラス屋さんで、
「お顔が変わるから やめなさい。」とアドバイスを受け、
そのままアンファン エルミタージュで余生を過ごしています。
小さい方のステンドガラス2枚は、ドアと引き戸に取り入れました。

家具の一部にはめこまれていました鏡は鉛でした。
こちらも保存してあります。
飾る場所をもう何年も探しています。

応接間 応接間

○コジローやアヤコが夕涼みしていた

勿論、和瓦ですが、大きさがマチマチで、
後に、オールド シーダ・バーンの北側を残し、
瓦を葺き替えた時、職人さんが困っていました。

三馬力半で使ってくださいました。

黒い色ですが、所々赤い色があります。
北側の阪急電車のレールの鉄が飛んできているのではないかといわれています。
真偽はわかりません。

瓦屋根

○解体時に驚くような丸太梁が発見されました。
解体時にびくともしなかったです。このため、解体作業が中断してしまいました。

もったいないので、お施主様の梁に、
それからシーダ・バーンとアトリエを結ぶ通り土間小梁、
テーブルや家具にも使いました。

  

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○シーダ・バーンの窓の原形です。

三段窓風の調整をしていました。
北側にあった建具は、飾り棚の戸として使っています。
この建具は比較的華奢に作ってありましたので、チャレンジしました。
中のものがあまり見えないので、物足りなさはあります。
それがかえって、部屋全体からみると落ち着いた雰囲気を表現しています。
見せたいときは、建具を寄せます。

建具 

○照明は、アトリエとポーチで使っています。

照明

基礎は、束石の上にのっているだけのようです。
布基礎(ぬのぎそ)です。
地震のときは、動いたのでしょうか。

束石

オールドシーダ・バーンが解体されることは、非常に残念なことでした。
しかしこの梁やオールドシーダ・バーンが残してくれたものを見ていると、
「残念」だけではいけないと思いました。

改めて、「使う」ことで伝えていかなければいけないと思いました。

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