芦屋へと旅立ったのです.この引越しは父がブラジル工場建設のために赴任したため,
社宅を出ることになったものでした.一時は社宅を買い取るか,
郊外に家を求めて東京に住み着く案もあったようです。
一家の人生はまた別のものになったのでしょう.
当時の国鉄芦屋駅は,今の岡本駅と同じ施設で,
駅前には新聞店と牛乳屋しかない本物の住宅都市でした.
タクシーだったか出迎えの車だったか,
あっという間に家に着いてしまいました.父のご自慢,
徒歩でも5分という便利な場所にあったのです.
10年近く人が住んでいなかったせいか,
芦屋に行ったら野球ができるよと, 聞かされていた庭の草は
伸び放題.確かにキャッチボールはできました。
最初の夜に風呂場から姉の悲鳴が.
行ってみるとゴキブリの集団が飛び回っているのでした.
台所は土間でしたが,手のひらを広げても収まらないほどの
大きな土蜘蛛もいました.
そんなことで,間もなく台所は上げ床のp-タイル貼りダイニングキッチン,
風呂は石炭炊きからガス釜へ,洗面所と風呂の木部とモルタルは白いペンキが塗られました.
(つづく)