2023年1月3日~建終計活(建築の個人的終了計画の活動)~「私の貫構造」

道楽草michirakusou

2024年1月3日水曜日曇り。~建終計活(建築の個人的終了計画の活動)~「私の貫構造」元旦夕方の地震は久しぶりの揺れだった。大きくゆっくりだったせいか、遠くで大きな地震があったんだろうと感じた。すぐにはニュースは入ってこないし津波もあるという。一晩経って倒壊した家々を見ると、やはり、貫構造という日本古来の工法は必要と思う。日々、朝夕移り変わる温湿度変化を和らげる効果のある土壁ないしはモクセン板も不可欠だ。そして屋根及び小屋裏、軒と庇、窓(開口部)、床、暖房。ここまでで7つの重要項目が頭に浮かんだ。これらと約25年は付き合ってきた。その貫構造再び注目が集まる・・・用には思えないが。昭和初期の私の育った家は5分板(15厚)の貫に土壁を塗りこんだ家だったが、震災に耐えた。昨年の古民家改修でも貫板は5分板だった。貫のサイズ・・寺社や蔵造りをお手本にした2寸板(60厚)の貫板を見直す。15厚の貫板とモクセン板で家を作るということは、「現代の仕舞屋」を作ることに通じるだろう。

~事故自転~「引きずり」12月31日午前10時50分ごろ、大阪府東大阪市長堂の路上で、自転車に乗っていた同市内の男性(55)が乗用車に追突された。男性は頭などに軽傷。車の男らは追突直後に男性と口論。現場を離れようとしたが、約100メートル先の交差点で信号待ち中、追いついた男性と再び口論。男性が運転席の窓にしがみつき、警察に「事故の相手を捕まえている」と通報していたところ、車は約50メートル引きずり、その後逃走した。  

2023年1月3日火曜日曇り。~粋栖A-be友旅追想・2017年のスイス旅の回想記319~「25年越しのエコミュゼ 7」2023年1月3日からの続き。 エコミュゼまで乗る最寄りの駅はヘルリスハイム・プレ・コルマールという街にある。余談だがこの※街並みがちょっと変だ。鉄道駅から西に離れたところに旧市街があるが、エギスハイムの円形が崩れて、半円形の道路網で、しかもあとの半分が※空き地になっている。何故だろうか?戦争で空襲を受けて町の半分を失ったのが、致命的だったのか、復興することができなかった。私の見立てである。ところが調べると違っていた。もう1回※マップ。右側の空き地になっているところは城跡だった。平地の城で理由は定かではないが見事に空き地になっている。しかし南側にコルマールに通じるロシュ川が流れ、橋を経て城壁にぶつかり折れて、中央広場へとつながる中世の都市計画が見て取れる。城は2重の囲いがあるり、川から水を入れて堀としていたようだ。川沿いに風車もあった。街の中心部の黒い部分は教会と宿屋。街は外側の要塞と内側の水路で守られていた、とある。エギスハイムもそうだが、この街も極めて興味をそそる形だ。*本日の日誌*薪づくり。13時過ぎ駅前地下スーパーCp、ポテサラ、低糖プリン、バター。

~イーブン時標~「思惑」3日の外国為替市場で、対ドル円相場が一時、7カ月ぶりに1ドル=129円台の円高ドル安水準をつけた。22年初めに115円ほどだった対ドル円相場は、10月に32年ぶりに1ドル=151円台まで円安に振れた。しかし、その後は逆に日米の金利差が縮小するとの思惑から円高が進んでいる。12月に日銀は長期金利の上限を引き上げる事実上の利上げを決定。米国の長期金利は低下傾向にあり、急速に円高ドル安が進んでいる。

2022年1月3日月曜日曇り。~粋栖A-be友旅追想・2017年のスイス旅の回想記318~「25年越しのエコミュゼ 6」2021年12月31日からの続き。 ※エギスハイムからエコミュゼまでは※鉄道人倫で行こうと。最寄りの駅は※ヘルリスハイム・プレ・コルマールという小さな※無人駅だった。時刻は夕方の4時50分。無人駅で乗客もいない。あるのは切符の券売機。乗車券はバーデンからコルマールの分しか買っていないので、この駅で券をゲットしなければ。ところが当時はそのノウハウがなく、下調べもしていなかった。さて、どうしたもんか。とにかく列車に乗らなくては、ということだけは確か。到着して10分後のプラットホーム。男性客が一人待っている。気軽に尋ねるという状況ではなかった。

*本日の日誌*薪づくり。肉じゃが。

~イーブン時標~「氷の山」兵庫、鳥取県境にある氷ノ山(ひょうのせん)(標高1510メートル)でキャンプに来ていた5人のうち1人、大阪市城東区の会社員の男性(66)の遺体を発見した。男性は宍粟市波賀町戸倉の山中で、雪に埋もれた乗用車の運転席に座った状態で見つかった。エンジンはかかっていなかった。4人は自力で下山し、28日、県警ヘリなどに救助された。5人は会社の同僚や知人のグループで、12月25日に車に分乗して訪れていた。

廻日録kaijitsuroku2021年~2007年の1月3日

2021年1月3日日曜日曇り。~EKT~「ワン・コメント・デイ」恒例のHkn駅伝は、我が家のお楽しみだが後半も首位と差が色縮まらないので、TV観戦を止めて、念のため録画。ところがニュースで「Km大、大逆転勝利」と聞いて、びっくり。慌てて録画を見直すと、確かに、こんなこともあるもんだ。終わってみればだが、20キロ超で3分19秒差はありえた。リアルを見逃した。*本日の日誌*11時発小若家族と徒歩でAs駅南、とんかつMss昼食。思ったほどの内容。

~イーブン時標~「異議申し立て」6日に米連邦議会で行われる米大統領選の選挙人の投票結果の集計をめぐり、共和党上院議員11人が2日、バイデン次期大統領勝利の投票結果に異議を申し立てる意向を明らかにした。同党下院議員も、少なくとも140人が異議を唱えるとみられる。昨年12月14日、各州で選挙人による投票が行われ、バイデン氏が306人、トランプ氏が232人を獲得し、バイデン氏の勝利が事実上確定している。

2020年1月3日金曜日晴れのち曇り。~Es lebe Popstern ポップスターよ末永く・9~「ステファン・スティルス」※リンクあり

1945年1月3日生。スティルスは僚友リッチー・フューレイとロサンゼルスの路上で、カナダ・ツアー時に知り合ったニール・ヤングに偶然再会する。そしてバッファロー・スプリングフィールドへ。3枚のアルバムをリリースして、1968年に解散。CS&N、更にCSN&Yを結成。当初は、ニール・ヤングを超えて、ロック界のリーダーとして颯爽たるものがあった。ヒット曲「フォー・ホヮット」「ブルー・バード」、「組曲ジュディー・ブルー・アイズ」など、彼の曲は通好みだった。私にとってこの頃の活動が一番印象に残っている。ソロ・アルバムも好評で、ポップス好きの私もつい購入してしまった。この一曲は、CSN&Yのアルバム冒頭曲※「キャリー・オン」

西3畳引違建具、ポリカ入れ。夕方、駅前デパ地下Dm、たまねぎ、明太子。

 

2019年木曜日曇り一時晴れ。

~手元先生・35~「レコード棚の改修」

 マンガ本の整理書棚の次は、いよいよ我がコレクション、200枚

S山頂

に及ぶ?LPレコード棚のリニューアルとな

小屋裏オーディオ

った。以前から流浪のレコード棚は、今小屋裏部屋の西側に停留している。このスペースを充実するために、オーディオ・セット(スピーカー、デッキ、ターンテーブル)とCD棚、それにソファーとテーブルの配置を決めた。ほぼ50年ぶりに、じっくりと音楽が聴けることになる。中古の板をインパクト・ドライバーで留めていくという単純作業だった。以前より行動力が増したことは確か。

 
小屋裏レコード棚制作設置。11時半、小若家族退出。同時に山歩き、As川右岸からS山山頂往復。14時帰路。
 
 

2018年水曜日晴れ。

 ~ステイ・オールド52~「※ヴァン・ダイク・パークス」※リンクあり

1943年生の75歳。音楽家。1968年、大学一年の時、デビューアルバム「ソング・サイクル」に巡り合った。フォークでも、ロックでも、ジャズでも、クラシックでもない、ニュー・ミュージックの元祖みたいなもの。こういう才能があるんだなと、衝撃だった。タイトルは、アルバムの内容を表す、連作歌曲から取られている。レニー・ワロンカーによるプロデュース。またザ・ビーチ・ボーイズのアルバム「スマイル」で歌詞にたずさわった。残念ながら、以降は年相応に動いてくれているが、疎遠になっていくような。  結局、ソングサイクルの冒頭のランディー・ニューマン佳作※「ヴァイン・ストリート」に続く※「パーム・デザート」が一番良かった。

寒中見舞いの作成開始。夕方散歩、国道スーパーGc、生ハム、糖質オフパン、地場果実、レタス、ベーコン、きゅうり。サカヤスーパーyy、ミックスナッツ。

 
2017年火曜日晴れ。
「小若は魚か?」

ミネラル風呂は循環浄化式。残り湯で何度入ってもきれいで匂わずヌメリがない。ところが小若が入ると、半日で水は白濁、匂いもきつい。一度ならず2度にもなると、もう水の総入れ替えしかない。子供の代謝は激しいと聞くが、皮膚からの排泄も並外れているということだろう。人間の遠い先祖は、魚だったに違いない。

壁土を剥がす

ブログ作成。夕刻駅地下デパートDm、だし巻き、うどんだし、刺身、カニ。

 

2016年日曜日晴れ。
「住まいの味方2」
その人にとっての「味方」になるのは誰か?と言われれば、「自分自身」。ある意味最後まで味方してくれる他者はいない。「住まい」についてもそう。階段から入ってみよう。誰もが建築基準法を意識するが、踏み面15㎝以上蹴上げ23センチ以下は、建築業者が1間で2階にあがれるサイズを許容したもの。降りるのは怖いくらい。誰も信用しない。かといって、設計士の言う「理想の階段」など信じたら、勾配がゆるくて間取りがズタズタ。「階段の味方」は、その中間にあるのだろう。今まで多くの知恵、多くの時間が費やされたが、実体が見えない。自分で探すしかなかった。昨年の十台ニュース№1では、これが見つかったかもしれないという。(つづく)

食事専念

山歩き。9時過ぎA-BIKEでKz滝。欄干傍に置いて。団体さんにつられて、Jg谷に向かうも難所ある雰囲気を敬遠。RgからKz谷に戻って、ウリボウに新年の挨拶。12時前帰路。夕方ヴィゴーレで国道スーパーGct、糖質ゼロ麺、ツナ缶、豚ロース薄切り。レシートの整理はじめる。

 

2015年1月3日土曜日曇り。
「バックテーブルご案内」
1965年のニューイアー。年末年始の新聞は薄い。ビルボード誌も順位変動、少ないし新曲も脱落曲もあまりない。ということは、チャート発表はあるが実際の動きはないということだろう。クリスマスが終われば停滞期ということ。詳しは//backtable1964.blogspot.jp/

夕方駅前スーパーCp。豚バラブロック、ローストチキン、ボイルずわいがに、十勝カマンベール、卵、小岩井ヨーグルト、ごぼう、燃やし、野菜見切り品。

2014年金曜日晴れ。

下山は夕暮れ
10時発電車にてSm駅から徒歩Sk駅の登山口。Nb滝から貯水池、Hb園まで。帰路はロープウェイ、13時帰宅。昼食ビフテキ。午睡の後、16時過ぎMy公園へ。Myコース探索するも、またまた帰路道迷い。同じところで同じ甘い誘惑にかかる。夕暮れ前の危うい脱出。九十九折の直進どころか午後の下山はご法度。17時過ぎ公園戻り18時前帰路。

 

 

 

散歩の途中

2013年木曜日晴れ。
血糖値体温とも良好。朝食後メゾンM型の確認。メゾン経由芦屋神社40分徒歩。昼食カキフライ。野菜の素揚げ。面積再チェック。間違いゲット。逆転現象をあいかわらず。イッチャと番頭で新しい上着2着。夕方Ay神社往復。夕食魚さわら煮つけ、焼き鳥、さば生寿司。

2012年火曜日晴れ。

ユーチューブ小若

起床7時前。3日目の完全休養日。朝から薪割り。合間に講義録。さらに先日タケちゃんの刻み場から持ち帰った端材17袋を薪小屋に1列並べて、年末の仕事がようやく完了。この端材は長くて10センチくらいのものばかり。4m材から真ん中3.8m材をとれば両耳が10センチとなるわけで、確かに片側小口が黒く乾燥している。2間3.8mというモデュールは理にかなっているわけだ。

室内から見たハート電飾

夕方、小若家族と夕飯は番頭のてんぷら。結局、この3日初詣にも外にも出ず家でゆっくり。夕刻ブログ。結局講義録は電飾ハートマークが見える食卓ストーブ前で、深夜にかかる前にやっと終了。

 
2011年月曜日。

2010年日曜日。

2009年土曜日。

 

 

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