2017年3月29日
道楽草
2017年3月29日水曜日曇り時々晴れ。
「階段は住まいのコシ-3」~階段話の連載~
「階段ですか?住まいのテーマにはならないですよ。季刊ですから。キッチン水廻り、暖房、収納、そしてガーデニングで一年が終わっちゃいますからね」・・懇意にしていた雑誌編集者からの冷めた言葉。確かにプロ向けのデティール雑誌が10年ごとに階段特集を組むが、一般雑誌は皆無。でも階段は日常の暮らしの重大アイテム、老人や妊婦さんにとっての関心ごとでもある。ならば逆転の発想で、これをテーマにするのも「目の付け所」というものじゃないか。
廻日録2016年~2007年の3月29日
かいじつろく
2016年火曜日晴れのち曇り。
新幹線で輪行・・慣れているはずなのに、とんでもないミスが。降りる駅は、いつもと違うOd駅。準備が遅れて通路部分でモサモサして。ヘルメットを被ればいいものを、列の人の目を気にしてか、網棚に置いてしまった。ドアが開くので、バーレーを引っ張ることに夢中になっってしまったのが、運のつき。なんと執着駅までとり戻しに行く羽目になった。忘れ物案内所は、その昔一度世話になったところで、懐かしいのと嬉しいのと。「ここは小さな幸せをもらえるところなんですね、ありがとう!」とお礼を言って引き返した。他に用事もないので。
単独行 |
6時過ぎA-BIKEにて輪行始発。8時過ぎ16z邸現場。9時半市役所、駅前でガスシリンダー。電車で法務局。ヘルメット電車置き忘れのため、電車にて東京駅。ヘルメット発見、手続き終えて帰路、駅中でゆで卵とプレモル。駅中輸入スーパーでキムチ、トンカツ専門店Wk等でトンカツ。
2015年日曜日雨のち曇り。
「バックページ~命日の記憶・7」
成毛滋、2007年3月29日、1947年生の60歳、大腸がん。60年代後半のロックムーブメントの頃から、日本のロックギター・ミュージシャンとして、名前と長髪だけは轟いていた。家柄もいいと。でも、外国から無数のミュージシャンが洪水のように入っていた。同じ日本人、彼もそれを受け止めるので精一杯だっただろう。今、見聴きすると、かなりな力量の持ち主。恐れ入ったのは、滑らかなギター講釈だ。指先から頭まで、優秀だったんだろう。資料によると「彼は手が小さかったため、ネックを削って薄くした。高価なストラト・モデルに似せて塗装を施したこのギターで、数々のコンテストで優勝。本物のストラトを持っていたバンドにも勝ってしまった。」70年代は確固とした地位を築いていたのかもしれないが、アイリッシュ・タレントには及ばず、ハゲおじさんに熟した晩年は不遇だったか。あの鳩山兄弟の従兄弟でもあった。
番頭真剣 |
2014年土曜日曇り。
遅い夕食 前菜 |
朝から事務所の書類整理。もう事務所開設20年を軽く超えて25年目になっている。保管していた資料が膨大なものになっている。とても1日では終わらないが、今日の私の作業は15時までで切り上げて、遅めの山歩きに。MyコースからReコースに抜けるひと巡り。市の観光推奨ルートでもあり、私のお手入れコースでもあるわけだが、今回も出会った歩き人はゼロ。帰路はバスで駅前スーパー。19時過ぎ番頭と駅前スーパー、カイワレダイコン、炭酸水、野菜見切り品。国道コンビニLsで、鶏炭火焼、ゼリーdeゼロぶどう味、カラアゲクンセット、ブランモッチリング、カレー、セサミロール。その後スポーツクラブのプール初日。21時過ぎ帰路、遅い夕食は1食主義の影響で、最近のパターンとなった。
CB玄関土間 |
この年になると、生きることへの執着が生まれてくる。今や日本は最長寿国で、大阪の女性も115歳であるが、もっとすごいのが歴代男性世界一京丹後の115歳kimura jiroemonnである。京丹後は聞きなれないが、要するに日本海側の厳しい環境の町だろう。英語など話す余裕は、かなりしっかりして生きてきたようだ。全般的に人生80過ぎ90ならで天寿を全うしたなんて言うのは、まやかしだったのかと。最先端科学の時代でも、85で死ぬ人と115で生きている人との差は何だろう?医学が発達し、疫病が防がれ、戦争もなく、事故も滅多にない。あまりに整った環境の日本社会であって、差があり過ぎるじゃないか。
午前中、バト事務所にて12y邸。基本設計図書とプラン修正と模型写真トリミング。14時打ち合わせ。ご夫妻、番頭バト先生。今後のスケジュールなど。16時半終了。メゾンへ自転車、丹人に乗り換え服屋スーパーへ、スーツ受け取り。一旦帰路、メゾンへ。20時帰路。
2012年木曜日晴れ。
フェリー搭乗 |